今回の話は空の境界を読んでいないと分からない場面がありますのでお読みになっていない方はご注意ください。
彼、黒桐幹也はある会社で働いているごく普通だと思われる青年である。
しかし彼が働いる会社は一般的に考えて会社とは呼べない。
なぜなら従業員は所長と彼の二人しかいないからだ。
しかも彼の唯一の上司であり彼が務めている会社『伽藍の堂』の所長、青崎橙子は魔術師という得体の知れない存在である。
その彼女には2歳になる娘がいる。
父親は不明で、一度、彼がそのことを訪ねたとき彼女は苦笑しながら、
「きみより年下のガキだよ」
と、冗談か本当なのかわからない返答が帰ってきた。
7月31日
数日続いた雨も収まり、天気予報が猛暑を告げた日でも、黒桐幹也はいつものように上下黒一色の服装で仕事に励んでいた。
「藤乃、目の調子はどう?」
「はいまだぼやけますが問題は特にありません」
彼の机の前に並んでいるソファーでは彼の妹、鮮花とその友人である、浅上藤乃がいた。
浅上藤乃は超能力者でありその両目は魔眼であった。
しかし魔眼の能力を酷使したために視力を失ってしまったのだ。
そこで青崎橙子がその魔眼をもらいうける代わりに自身が制作した目を提供すると取引を持ちかけ、藤乃がそれを了承したのが一週間前の話で、今日まで毎日、鮮花と共に学校が終わると診察のために伽藍の堂に通い詰めているのである。
そんな光景を浅黄色の着物着た女性、両儀式が壁によりかかってぼんやりと見ていた。
彼女は藤乃が魔眼を発現させた事件を解決するために藤乃と死闘を演じたのだ。
しかし事件が解決した今、藤乃に対して彼女は何の感情も抱いていない。
また彼女の高校時代の知り合いである黒桐幹也に対しても特別用事があるわけでもなく今彼女がここにいるのはあるものを受け取るためだ。
「おい橙子!」
幹也と反対側にあるデスクで自身の娘、藍をあやしていた伽藍の堂の所長、青崎橙子に式が声をかけた。
「何だ、式?」
「なんだ?じゃない!事件を解決したんだから約束のもんをよこせ!」
「ああそうだったな…」
そう言って彼女は机の引き出しから、小刀を取り出し、式に放り投げた。
その小刀は刀身の長さが20センチほどで、柄と鞘は木でできていた。
それを受け取りすぐさま鞘から外すと式は嬉しそうに刀身を眺めている。
「式、そのナイフそんなにすごいの?」
幹也は彼女が刃物などを収集する趣味があるのは知っていたが、こんな反応をするのは初めてだった。
「すごいなんてもんじゃないこいつは」
具体的にどこがすごいのか結局わからないが幹也としては式が嬉しそうにしているのを見て自然に顔が綻んだ。
「おい、橙子!この小刀は誰が打ったんだよ?これだけのもの打てるやつはそうはないないはずだ」
彼女自身、様々な名刀を目にしてきた。
ゆえにこの小刀がどれだけすごいのかはわかる。
しかし彼女の記憶にあるどの刀の特徴とも一致しないため製作者がわからなかった。
「それか…私の弟子が打ったものだ」
その言葉に最初に反応したのは式ではなく鮮花だった。
「弟子って…橙子師!私以外に弟子がいらっしゃったんですか!?」
「ああ…今はもう教えることもなくてな。今もあっちに残っているのかもう帰ってきているのか知らんが。ただ魔術師としてはあれ以上の弟子はいないだろう」
「そんなにすごい人物なんですか?」
「いや鮮花のようにたった一つのことしかできん、魔術はな」
そう意味ありげな言葉だけをはいて橙子は黙った。
がしかし、
「ん?」
すぐに眉間にしわを寄せた。
「橙子師?」
鮮花が橙子に呼びかけるのを無視して橙子は机の引き出しからあるものを取り出すと式に放り投げた。
それはメガネケースで、当然のように中にはメガネが入っていた。
「式、それをかけろ」
突然のことにその場にいた全員が反応できなかった。
「おい橙子どういう――」
「いいから言う通りにしろ」
式の言葉をさえぎる橙子の強い言葉にしぶしぶ式はメガネをかけた。
「いったいなんだよ、橙子?」
「すぐにわかる」
その言葉と同時にいつの間にか事務所の入り口にいた人物が挨拶をした。
「お久しぶりです、橙子姉さん」
「お久しぶりです、橙子姉さん」
事務所のドアを開けそう挨拶をした人物に橙子以外の全員の視線が集中する。
上は白と青のTシャツだが下は夏だというのに幹也と同じく黒い長ズボンを穿いており、髪の色は白く赤い髪紐でポニーテールにしている。
顔は中性的でどちらかといえば女性に見える。
が、しかしそんなものより最も特徴的なのはその眼だった。
ルビーより、血より紅いその眼が全員の視線を集めた。
「久しぶりだな、士郎。いつ帰ってきたんだ?」
「今年の四月です。できれば早くここに来たかったんですがいろいろあった遅くなってしまいました。ちなみにこの後そのままアルト姉さんのところに行くつもりです。」
そんな会話をしている二人に幹也が声をかけた。
「あの所長、この人は?」
「ん?ああ、こいつは衛宮士郎。さっき言った、私の弟子で藍の父親だ」
「はいっ!?」
「まぁ!」
「はっ!?」
「……」
幹也、藤乃、鮮花が驚きの声を上げ、式だけは反応しなかった。
藤乃と鮮花が驚いたのは士郎が男性だったといことではなく、藍の父親だったということである。
しかし幹也だけは別の意味で声を上げていた。
「あの所長」
「何だ、黒桐?」
「ずっと前に、藍ちゃんの父親じゃ僕より年下だって言ってましたけど…」
彼としては冗談だと考えていた。
「ああ、こいつは今年で15になる」
だが事実は小説より奇なりであった。
「15ってことは12歳のときにできたってことですか!?」
「ああ…ついでに言うとこいつにはあと二人子供がいる」
その事実にもはや開いた口がふさがらなかった。
「それで士郎、そいつらはどうした?」
いまだ思考が停止している幹也達を無視して橙子が問いかける。
「この子はレンちゃんです。もともとアルクェイド姉さんの使い魔だったんですが、今は俺と契約しています」
「真祖の使い魔だと?まったくお前はどんどん化け物じみてくな…それでそいつは?」
「こちらは父さんの知り合いの方で七月王理さんです」
「切嗣さんの知り合いだと?」
その一言で橙子の目つきが変わる。
「ええ…いろいろあって一緒に住んでいるんですが…どうしました王理さん?」
先ほどから彼は壁際にたたずんでいる式に視線を向けている。
「お前…両義んとこの娘か…」
その言葉に式も、
「あんた七夜の人間か?」
そう返した。
「おい士郎どういうことだ?」
いまだ要領を得ていない橙子が士郎に回答を求めた。
「わかりました。この方はかつて退魔四家、七夜の当主だった七夜黄理さんです。現在、七夜は混血の遠野に滅ぼれてしまったので、身を隠すために七月王理という名を名乗っているんです」
「なるほどしかし切嗣さんも奇妙な知り合いが多いな」
「それ自分ことも含めて言ってるんですか?」
「当たり前だろ。魔術にかかわる人間なんてものは奇人しかいないよ。まぁその最たる例がお前だけどな」
「否定はできませんね」
その後事務所の面々に挨拶をし、藍との戯れの後士郎は帰る準備を始めた。
「さてそれじゃそろそろ行きます」
「そうか。あの馬鹿によろしく言っといてくれ」
「わかりました」
その言葉とともに士郎は事務所のドアを閉めた。
「おい、式。もういいぞ」
その言葉に式がメガネを外す。
「おい橙子何のつもりだ?こんなもんつけさせて」
「それは魔眼殺しといってな。それを着けていればある程度、直死の魔眼の能力を抑えることができる」
「おれが聞いてるのはそんなことじゃなくてなんでこんなもんを着けさせたかってことだ!」
「それは士郎を見たお前になにか問題が起きたら黒桐が心配してここから出ていくかもしれんからな。そうなったら困る」
「はっ!?どいうことだ?」
「人には『起源』という魂の原点がある。それは『…をする』といった衝動であり、その人間の、人間たらしめる大本の部分。それを魔術では起源という。たとえば死を求めるおまえの起源は虚無といったところだな」
「それでその起源とやらがどう関係するんだ」
「あいつはあることが原因で一度死んだんだ。だがそれが、弾みなのか分からないがあいつの起源が覚醒したんだ。『欲』という起源がな」
「?あの所長それって起源なんですか?」
今まで話を聞いていた幹也が横から口をはさむ。
「たしかに『欲』というのは起源としてはおかしいかも知れんが今は置いておこう。とにかくその結果あいつは生き返った、人間以外の何かにな」
そこで言葉いったん切り、式に目を向ける。
「式の魔眼は対象の『死』を見ることができる。たとえ死者だろうが神だろうが生きていれば絶対に殺せる。だが死がないものを見たらどうなると思う?」
「死がないって…どういうことです?」
「さっきも言った通りあいつの起源は欲だ。しかしだ、幹也、欲とはそもそもなぜ存在すると思う」
「欲が存在する理由…それは…」
「それはねどんな生物にも存在する無意識下の死にたくないという思いと自身の幸福を望む思いだ。自殺願望者でさえ無意識下では死にたくないと願う。しかし自身が幸福になれないが故に死という逃避に走るしかない。故に欲というのは絶対になくならいんだ。たしかに、ただの人間が欲という起源を覚醒したとしても式ならば難なく殺せるだろう、だがすでにあいつは人ではないそんなやつをその魔眼で見たらどうなるか私にもわからん。なにせあいつ本人はとうの昔に死んでいるんだからな」
それを最後に橙子は説明をやめどこか寂しそうな眼を士郎が出て言ったドアに向けた。
11月10日
朝8時。
昨日から家に帰らない式のことを心配し、幹也は伽藍の堂にいた。
残念ながらそこにも式の姿はなく、仕方なく幹也は昨日からの仕事の続きをした。
「黒桐、昨日の話なんだが」
昨日の話とは彼が橙子の依頼でとあるマンションの住人について調べてきたことで、彼は住人の半分しか正確に調べられず、後の半分は名前しかわからなかったのだが、彼女によるとその半分は、本来は存在しない死んだ人物の経歴などを再利用したためだという。
そしてその人物たちは全員が東棟と西棟のうち、西棟の住人だけだという。
「これがどういう事か――――」
言いかけて橙子は眉をひそめ、侵入者だとつぶやくと、机の引き出しから草で編みあげた指輪を取り出すと、幹也に放り投げた。
「それを指に嵌めずに持って、壁際に立っていろ。すぐに客がやってくるが徹底的に無視しろ。何があっても反応するな」
不快な表情の橙子に幹也は何も言わず壁際でじっとした。
数分して足音が響いてくる。
甲高い靴の音は一直線に部屋までやってきた。
その人物は金髪で、赤のシルクハットとコートを身にまとったその人物は陽気に手あげて、
「やあアオザキ!久しぶりだね、ご機嫌いかがかな?」
親しみに満ちた笑みを浮かべた。
その笑みに幹也はどこか悪意を感じた。
赤いコートを着たそのドイツ人男性は幹也が見えていないのか、つかつかと橙子の机に向かった。
「コルネリウス・アルバ。シュポンハイム修道院の時期院長がこんな僻地に何の用だ?」
「はは、そんなのは決まっているだろう!全てはキミに会うためさ。ロンドンでは世話になったからね、昔の学友として忠告を死に来てあげたんだ。それにしてもまさか君に子供がいたとはね。父親は昨日君と一緒にいた君の弟子かな?」
「確かにこいつの父親は私の弟子だが、あいつではない。それで無駄話をしに来たのならお帰り願おう。人の工房に無断で足を踏み入れたんだ。殺されても文句は言えんぞ」
「なんだ、キミだって……」
その後の会話は幹也にとはもはや理解できないことでありただ時間が過ぎるのを待つだけだったのだがたった一つの単語が彼の心を動かした。
「……リョウギというサンプルは丁重に扱わせてもらうよ」
「式がどうしたっていうんだ、お前!」
二人が一斉にこちらを向く。
いまさら自分を叱っても後の祭りだが彼には自分を律することができなかった。
そんな幹也を見てアルバは歪んだ笑みを浮かべた。
「青崎の弟子か、いやいや驚いたな。まさか君のようなものを弟子にするとは」
「それは弟子ではないと先ほど言ったばかりだろう。……と言ったところで無駄か」
その後アルバが出て行くまで幹也はかつてないほどの怒りのまなざしでアルバをにらみ続けた。
「橙子さん、今のはどういうことですか!?」
「ああ、式が拉致監禁されたという話だな」
その後の会話の中で彼は式がとらわれているということ知るが彼はただの一般人である。
橙子や式のようになんの力もない平凡な人なのだ。
「安心しろ。今回、キミの出番はないよ。――――魔術師の相手は魔術師がする。黒桐、私の部屋のクローゼットにあるオレンジ色の鞄を取ってきてくれ」
いわれた通り鞄を取ってくると橙子はロングのコートを着ており紙に何かを書いていた。
それと胸ポケットから煙草を取り出すとその紙と一緒に幹也に渡した。
「預けておく。台湾のまずい煙草でね、もうそれしかないんだ。作った会社は当然のようになく、どこぞの物好きな職人が段ボール一箱分だけ作ったといった一品だ。そうだな、今のうちの備品の中で二番目ぐらいに価値のある品物だ。……黒桐。魔術師という輩はね、弟子や身内には親身になるんだ。自分の分身みたいなものだから、必死になって守りもする。……まあそんなわけだから、君は安心して待っていろ。今夜には式を連れて帰ってくる。ただもし、日付が変わっても私が帰ってこなかったら藍を連れてそこへ向かってくれ」
茶色いコートの魔法使いを送り出した後、幹也が見た紙には「冬木市」と書かれていた。
午後10時
衛宮邸において七月王理はいつものようにバスタオルを敷いてのそのうえで足理に重りをつけ逆立ちをした状態で腕立て伏せをしていた。
士郎の家に来た日から士郎と同じ鍛練を繰り返していた。
レンはその横で目を閉じ寝ているかのような様子でじっとしている。
士郎は台所であすの朝食のための仕込みをした後、夕食の洗い物を片付けていた。
これが彼らの毎日だった。
いつもと変わらぬ日々を過ごすことがどれだけ幸せなことか知っている、かれらは知っている。
だがその日だけは違った。
最初士郎にはそれが何が起こったのか分からなかった。
それがあり得ないと考えていたからだ。
橙子との霊的なラインが消えたのだ。
そしてそれが意味することはたった一つ。
士郎は洗い物を終え、背後の二人に声をかけた。
「王理さん、レンちゃん」
その声で王理は腕立て伏せをやめ士郎に向き直り、レンは静かにまぶたを上げた。
二人とも士郎の様子からすでに自体を察している。
レンは士郎との付き合いで、王理は七夜としての経験と本能から。
今の士郎がとてつもなく怒っているのだと。
「ちょっと急用ができました。二人とももう寝ててください」
「わかった」
「……(こくり)」
二人とも何も聞かず静かに今から出ていく。
二人が出ていくのを確認すると士郎は玄関に向かい、家の外に出る。
秋から冬に季節が移りかわる11月の寒さが体を冷たくするがそんなものを気に留めず士郎は、
「移動開始(ムーブ・オン)」
その場から姿を消した。
伽藍の堂4階。
いつも幹也たちが仕事をしているその部屋に士郎はいた。
見渡してみてもだれもいない。
次に橙子の部屋に行くと、いたのはベッドの上で寝ている藍だけだった。
「藍」
久しぶりに触れる愛娘に自然と顔がほころぶ。
藍のほうも寝ている最中に起こされなきそうになるが、相手が士郎だとわかるとすぐに笑顔になる。
「さてここでないと姉さんはどこに…」
彼が伽藍の堂を訪れた夏に訪ねたときだけで、あまりよくは知らない。
―カツーン―
そのとき廊下から足音が聞こえてくる。
その足音は橙子の部屋の前でとまりドアが開かれる。
確認するまでもなく、士郎は声をかけた。
「橙子姉さん大丈夫ですか?」
「誰にものを言ってる。それよりもなぜお前がここにいる?」
幹也が見送ったときとおなじ服装の橙子が答えのわかっている質問を投げかける。
「橙子姉さんが心配だからですよ」
「そうか。それは喜ばしい限りだ」
少しも嬉しそうに見えず、まるできめられたかのような会話の後士郎が静かに問いかけた。
「それで何があったんですか?」
「式がさらわれて、私が救いに行ったらやられてな。幹也の奴も逃げろと言ったのに突っ込んできてな」
「じゃあ少し急がないといけませんね」
「そうだな、黒桐が死んだら明日から私は無一文だからな。ガレージにサイドカー付きのハーレーがある。運転は任せる」
「わかりました」
三人はその場を後にした。
「さて―――事は済んだ。アラヤの研究成果に興味はあるが、やはり本国に帰ることにしよう。この国の空気はよどんでいて我慢ならない」
コルネリウス・アルバは目の前で動かなくなった人物、黒桐幹也から既に興味をなくしている。
彼のこの国での目的である「青崎橙子の殺害」は既に終わっている。
幹也に背を向けて、中央のロビーに向かう途中、
―かつん――かつん―
足音ともに姿を見せた人物に彼は息を呑んだ。
その手に赤子を抱いた青崎橙子がいた。
「お前は死んだはずだ、なんてお決まりの台詞だけはよしてくれコルネリウス。器が知れるぞ。あまり私を失望させるな」
赤子をあやしながら、どこか優しさの含んだ声で青崎橙子はそう言った。
アルバは言葉もなく彼女達を見ている。
そう現在の彼女は赤子を除いても一人ではない。
彼女の傍らには昨日見たアタッシュケースより大きな、人一人入れそうな鞄をもった人物がいる。
その人物は橙子のようにロングのコートを着て、白い髪を赤い髪紐で縛りポニーテールした人物は橙子以上に不気味だがその人物に構うだけの精神的な余裕が今のアルバにはなかった。
「―――急いだつもりだったが、間に合わなかったか。黒桐は私の弟子ではないと言ったがね、アレは訂正させてもらうよ。それに教えることなぞ一つもないが、私の身内であることは変わりない」
「お前――――お前は死んだはずだ。確かにこの手で息の根を止めてやった!」
そんな二人の応酬を士郎は聞きながら幹也を見ている。
両膝の怪我はそれほど深くはないが、長時間放置されたためか、出血が多くあと数時間で幹也は死ぬだろう。
「お前は――――本物か?」
「お前さ。この私に対して、その質問に何の意味があるんだい?」
橙子の真実にアルバが絶望し、震えているとき、
「橙子姉さん、そろそろ幹也さんが危ないんですが…」
そう静かに言う士郎に橙子は
「そうか…いくら出血が浅いとはいえ、さすがに一時間も放置されればな…」
「な――に?」
その言葉にアルバの意識が引き戻される。
いくら彼が幹也をいたぶることに熱中していたとはいえ、さすがに一時間も経過しているのはおかしい。
「馬鹿な……どんな魔法を使った、青崎」
もはや考える気力さえない彼の口から自然とその言葉が漏れた。
「私が子のロビーに来るのは三度目だぞ。ここだけは私が一から建設させた結界だ。万が一の用心に、多少のトリックは用意しておいたさ。たとえば、お前が黒桐の反撃に驚いて思考を真っ白にしていたときに、軽くお前の意識に介入してみるとかね」
「あのとき、か―――」
彼の脳裏に黒桐を追い詰め近づいた時、ナイフによる反撃を受け、それを手の平で受け止めた後、生じた言いようのない空白があった。
そして恐らく自分は呆然と立ち尽くしていたのだという事に気づいても彼に怒りはなかった。
「はは、ははは―――なるほど。初めから手の平の上というわけか。さぞ楽しかっただろうね、アオザキ。認めたくはないが…やはり私は初めから道化だったらしい」
「そうでもないさ。私だって殺されるはめに―――」
「橙子姉さん」
二人の会話を遮り士郎が二度目の勧告をする。
「わかったよ。さっさと行け」
「わかりました」
その言葉に持っていた鞄を置くと士郎は幹也に向って歩き出す。
先ほどまでは構う余裕がなかったがアルバは改めてその人物を見てみると奇妙なことに気がついた。
魔力を全く感じないのである。
橙子の関係者であることは容易に想像がつくが、だとしてもなぜこのような人物が橙子と一緒にいるのか分からなかった。
「昼間言っただろう。弟子はいるが黒桐は弟子でないと。こいつが私の弟子だ」
そう言った橙子の言葉にアルバは驚きを隠せなかった。
「馬鹿な。君ほどのものがなぜこんなやつを弟子に」
黒桐をいたぶっていた時とは真逆の言葉彼の口から出てくる。
しかしあのときは橙子を侮っていたから出た言葉であり、今では自分など足元に及ばないと考えている彼ですら、魔力をかけらも感じな目の前の人物に疑問が募るばかりである。
「やれやれ、本当にお前も堕ちたな。魔力殺しの髪紐が目に入らないのか?」
その言葉にアルバの視線が士郎の髪紐にくぎ付けになる。
確かに注意深く見ればほんの僅かに魔術の痕跡を感じる。
しかしそれは彼だからわかることであり仮に一級の魔術師でさえどれほど観察しても気づきはしないだろう。
そして彼はそれと同時に目の前の人物に恐怖を感じた。
魔力殺しとはほかの魔術師に自分が魔術師であるという事を悟られないようにするために身につけるものである。
封印指定を受けている橙子も例外ではないが彼女からも微弱な魔力を感じる。
ならばそんな彼女以上に魔力を感じさせないこの人物はどれだけの魔力を隠しているのか。
「アルバお前も知っているだろう…数年前同時期に宝石の翁とあの馬鹿に弟子ができ、その直後に封印の魔術師が復活したという噂を」
それはいまでも噂されており、だれもその存在を知らない人物。
また噂の中には宝石の翁が後見人を務める、黒き姫の寵愛を受けているというものまである。
「あの噂の真相はな、宝石の翁とあの馬鹿、そして私と封印の魔術師の弟子というのが正しいんだ」
「なっ!?なぜ貴様がミスブルーと」
話の流れから目の前の人物が渦中の人物であることはわかるがそれ以上に彼の興味を引いたのは、橙子と青子の破滅的な仲が悪さは魔術会においては常識でその二人が共通の弟子を持ち、しかも封印の魔術師と宝石の翁さえも同じく師を務めているということだった。
「こいつに関しては別でな。恩人からの頼みなんだ。まあ、最も切嗣さんからの頼みでなくても無理やり弟子にしただろうがな」
「キリツグ?……まさか魔術師殺しか!」
「御名答。さすがのお前でも切嗣さんの名は知っているか。切嗣さんからの遺言でね。並みの魔術師では扱うのは不可能だという事から私たちが選ばれたわけだが、さすがの私も驚いたぞ、わずか7歳で根源に達するどころか生きた魔法になるなどは」
もはや彼の思考と視線は士郎のみに注がれている。
生きた魔法。
橙子が表現した言葉度言う意味を持つのか分からないが少なくなくとも自分に近づいてくる士郎にアルバはもはや何の反応もできない。
極上の魔力殺しで隠すほどの魔力と生きた魔法という単語。
そんな存在がひとたび魔術を発動させればどれだけのことをやってのけるのか。
普段の冷静な判断力があったとしてもこの目の前の存在には何の対処法も浮かばない。
なぜなら士郎が彼の横を通り過ぎた瞬間、士郎にとってはわずかな、アルバにとっては一生かけても自身が使いきれないほどの魔力の奔流を感じたからだ。
「さてそろそろ私のほうの用事を済まさせてもらおう」
橙子は足元に置いた鞄を、ばたりと地面に倒した。
「私がここへ来たのは殺された復讐をしに来たわけではないんだ、アルバ」
「では何をしに来た、アオザキ?魔術師として、禁断の実験を行なおうとするアラヤを阻止しに来たとでも言うのかね?」
「それこそまさかだ。アレはどうやっても成功はしない。私はね、アルバ。本当にお前にだけ用があるんだ」
その言葉にアルバは頷いたが、彼には解らなかった。
復讐でもないのになぜ橙子からこんなにも冷たい殺意を向けられるのか?
「……なぜだ?私が、キミに何かしたか?」
別に何も。生きていく以上、憎み憎まれるのは覚悟の上だ。実を言うとね,協会時代のお前の憎しみも悪くはなかった。それは青崎橙子が生きているというあかしだから」
「ならば、なぜ?」
「簡単だ。お前は私をあの名で呼んだ」
ばたんと、音を立てて橙子の足元の鞄が開いた。
大きな鞄の中には闇と、
「協会時代からの決まりでね。私を傷んだ赤色と呼んだ者は、例外なくぶち殺している」
―――光る、二つの目がある。
匣から現れた黒い生き物は茨のような触手を伸ばして、コルネリウス・アルバを摑まえた。
足から何千という小さな口に咀嚼されていく。
消滅の寸前、首だけの彼は、おぞましい死を迎える彼を見て、橙子は嗤っているのを見て、
……自分は失敗した。
こんな怪物どもと、関わるべきではなかった。
そう思考するのと同時に彼の脳髄の最後の欠片が咀嚼された。
一回東棟のロビー
士郎が幹也の治療を終え、背負い振り向くとそこには何もなかった。
もともとアルバに何の興味がない士郎にとってはどうなろうと関係ないため何も聞かず、橙子の元に戻ろうとした時、
「どなたですか?」
自然と言葉が口から洩れた。
姿を現さないが、自分たちを見ているものがいる。
その存在には橙子も気づいていた。
「覗き見とは趣味が悪いぞ、荒耶」
士郎はかつて橙子の友人だったと聞かされた人物の写真を思い出した。
『…何らかの手段でアルバを処刑することは分かっていたが―――』
その時点で彼は会話から意識を切り替え、周囲の警戒に努めた。
ある程度このマンションについては話を聞いており、ここは今橙子が対話している魔術師の疑似的な体内でもありいつ何が起きるのか分からないため幹也を背負った状態ではあるがいつでも迎撃できる様に静かにナイフを10本投影した。
「―――阻止するものがいたとしたら、それはきっとわたしじゃない」
『この期に及んで抑止力に期待しているのか。だがあれはもう働かんぞ』
「いや、もし私の予想が当たっているなら、お前を阻むものは抑止力以上に厄介なものさ…そうだろう、士郎?」
自身の隣でたたずむ橙子からの呼び掛けに士郎は幹也を床に寝かせるとロビーの真ん中に立った。
『青崎、何の真似だ?その童(わらし)に何ができると言う?』
もはやこのマンションは一種の位階であり、特に両義式をとらえている結界は魔法レベルにまで達する。
それを破るというのは橙子でも骨が折れるほどである。
「ああ、確かにこいつの魔術でもお前を殺すというのは少々骨が折れるだろう…魔術ではな」
「守護者(ガーディアン)」
橙子の問いとともに士郎の手に剣が現れる。
200年もの時を生きた荒谷宗蓮でもそんな剣を見たことがなかった。
しかしそれも仕方ないことである。
歴史上名どんな英雄でさえそれを見たら口をそろえてこういうだろう。
長さ一キロ、幅3メートル厚さ五十センチの剣などあり得ないと。
そしてその剣が振るわれる。
マンションを斜めに切り裂くとともに荒谷の意識は強制的にマンションの西棟にある自分の体に引き戻された。
(……切られたの、のか)
肉体に意識を取り戻した魔術師はすぐさま自分に起こった現象を理解した。
このマンションは彼の肉体と同調しており先ほど西棟にいたのに東棟にいた橙子との会話もこれおかげである。
だが逆にいえばマンションが傷つけば自分の体にもその損傷がくるということである。
本来なら痛みだけなのだが今回は違う。
現在彼の内臓の大半は機能していない。
いくらマンションと肉体が同調しているとはいえ、彼の肉体自身に損傷はない。
しかしどういうわけだか、原因と思われる先ほどの斬撃により、マンションだけでなく同調していた荒谷の霊的な肉体さえも切り裂いたのだ。
まるで両義式の直視の魔眼で死の点を突かれたかのように内臓は健在だが機能はしていない。
(馬鹿などうやって?)
これほどのことをやってのける魔術も魔法も彼は知らない。
故に対処法も見つからない。
(ならば、急ぎ両義式の肉体を…)
彼の目的は両義式の肉体を手に入れそこから根源の渦に到達することである。
もはやこの体では数刻と持たず荒谷宗蓮という存在は消えるだろ。
(ならばその前に目的を果たすだけ!)
そう思い一歩足を踏み出すと同時に、
お―――――――――ん
彼がいる廊下の先のロビーのエレベーターから音が聞こえる。
現在このマンションにいる人間は自分を除くと4人。
うち三人は自分のいる西棟と反対の東棟にいる。
ならば今、ここに向かってくるのはただ一人。
その答えが浮かぶのと同時にエレベーターの扉が開く。
真剣を携え、美しい亡霊のような白い着物をまとった女性がいる。
両義式。
彼が築いた魔法の域に達した結界にとらえて置いた少女が彼の前にいる。
なぜその少女が自分の前に立っているのか考えるまでもなかった。
(先ほどの剣か…)
もはや自体は自分の理解を超えている。
しかし今はそれについて考えている余裕はない。
この上ない静謐さを引き連れた死の権化を相手にしなければならないのだから。
「今回も失敗に終わったな、荒耶」
両腕を切り落とされマンションの庭に立ち尽くしている荒耶に橙子が声をかけた。
「そうだ。だがあと数十歩。あと数歩と言うところで、またしても世界に邪魔された。―――」
もはや彼の望みは絶たれ、自分の計画が失敗し、あと数分後にはこの世を去る魔術師の話を橙子は静かに聞いていた。
「世界―――?違うよ、荒耶。今回お前を阻んだのは世界の抑止力なんかじゃない。アラヤ識という言葉を知っているか?」
その後の橙子の言葉にアラヤは自身の姓を心底憎んだ。
「まぁ、最も士郎が関わった時点で、お前の計画が成功することはなくなったがな」
橙子の言葉に士郎という人物が先ほどの剣をふるった人物だとすぐに分かった。
そして荒耶自身その言葉に同意した。
不可思議な剣を扱うあの男がいなければまだ可能性はあった。
「―――この体は限界だ」
「また一から出直しか。それで何回目だ。懲りないな」
荒耶の体が左半身から灰になっていく。
「予備の体は作っておらぬ。再会があるとすれば、次世代か」
その独白を最後に荒耶は静かに目を閉じた。
だが、
「馬鹿を言わないでください。あなたに次なんてありませんよ」
肩に幹也を担ぎ、式以上に死を思わせる死神が持っているような鎌を携えた士郎が二人に近づいてくる。
「そういえばお前には紹介していなかったな。こいつは衛宮士郎。私の弟子のひとりで、噂の黒き姫の寵愛を受けたものだ」
その言葉に荒耶は再びまぶたを上げ、士郎を見る。
「さて、荒耶お前は聖杯戦争を知っているか?」
橙子の言葉にとある町で起こったことを思い出す。
「その終結はある男が聖杯を破壊することで終わったのだが、そのとき、破壊された聖杯の欠片がとある少年の体に溶けた。当然ながら欠片といえど聖杯なんて規格外のものが体の一部になったんだ。本来ならそいつはそこで死ぬはずだった。そう根源がこいつを拾いさえしなければな」
その言葉に荒耶の思考が真っ白になる。
「そのときこいつはある剣を手に入れた、自分の望んだ形に、望んだものを切る剣を」
士郎が幹也を下し、こちらに近づいてくる。
「喜べ。お前の望みである根源の力の一端をその身で理解することができるのだから」
「あなたに恨みはありません。ですがあんたのせいで橙子姉さんが死んだんです。だから俺はあなたを許さない」
鎌の先端が持ち上がる。
「最後に、こいつも起源を覚醒しているんだ。何よりも生きることを望むこいつの起源は『欲』だ」
鎌が振り下ろされ、二百年の時を生き、根源にあと数歩のところまで近づいた男の魂は根源によって引き裂かれた。
あとがき
こんにちはNSZ THRです。
今回は空の境界のお話です。
個人的に藤乃にはまともな人生を歩んでほしかったのでああいう風にしました。
黄理が幹也に反応しなかったのはいくらなんでも幼い志貴とは顔が違うと考えたからです。
一部の会話を省略したのは文章の量的なことと原作見読者のためだとお考えください。
管理人より
ご無沙汰してましたが投稿ありがとうございます。
原作を幸い持っていましたので話の流れは判りました。
ただ欲を言えばもう少し詳しく書いてもよかったような気もしますが、そこは私の独り言と思ってください。